あの頃の夢を、叶えてあげる

エッセイ書きたかったんだった。ずっと忘れてた。

同僚あーちゃん


 うちの店で、もうすぐ新しい季節もののコーヒー豆の販売が始まる。しかし、これがあまりおいしくないのである。・・・少なくとも私は個人的に好きじゃない、と思った。

 

 新しい豆が出る前には、決まったある従業員の子がその豆でコーヒーを入れて、シフトに入っている全員にふるまってくれるのが毎度の習慣である。障害のあるスタッフで、若い子なのだがすでに結構長く勤めている。他の従業員のみんなとも仲良しで「あーちゃん(仮)」と呼ばれて親しまれている。

 まだキャリアの浅い私からすれば大先輩で、入社したての頃にトイレがわからずオロオロしていたところを無言で従業員トイレに導いてくれたことが思い出深い。

 そういったこともあって、私は新人時代にわからないことがあった時、近くにあーちゃんがいたら他の先輩と同じようにガンガン質問した。ぶっきらぼうな口調だが知っていることは必ず教えてくれたし、時には休憩時間に自慢のペットの写真を見せてくれたり、いつも無邪気に誠実に接してくれる子なのだった。

 

 話は戻って、コーヒー豆だ。

 もともと好きではあったが、この店で働きだしてからどんどんコーヒーオタク化している私は、最近自分の好みの味がはっきりと分かってきたところだった。

 たしかに今回の新商品は、私好みのタイプではない。だが、こんなふうに好きじゃない、おいしくない、などとここまでハッキリ思うのは珍しいことなのだ。うちで扱う豆は高品質なものに限られているし、どんなタイプの味わいであっても、好みは分かれどその豆なりの良さがあるものだ。その後もくり返し飲むかというリピート率には差が出るが、基本的に好奇心旺盛な私は、そういった個性の違いを経験として楽しむのに。

 

 だから、おかしいなとは思っていた。二回、そうやって彼女に入れてもらって飲んだが、感じた印象は同じだった。

 ベテランの先輩方が「去年のはもうちょっと飲みやすかった」と言っているのを聞いたのもあって、ああ今年のは本当にどぎつくて好みが分かれるのかと思ってそのまま納得していた。私はあまり好きじゃないけど、仕事なのでお客様にオススメはしなくてはいけない。

 

 ところが、である。

 いざ店頭での販売が始まり、お客様にお配りするサンプル豆を私もちょっともらうことができたので、家で自分で入れて飲んでみた。当然ながら全然期待はしていなかったのだが・・・

 あれ??

 意外とおいしいじゃん。お店で飲んだときの印象と違う。この豆のセールスポイントである果実のような個性的な風味が、良さとして自然に感じられる。

 

 どうしてだろうと考えて、思いが至った。

 あーちゃんだ。

 

 週に数日だけのアルバイトの私は全ての事情は把握していないが、このところ彼女は体調がすぐれない日が多いようだった。風邪だったり歯痛だったり、どうも次々と重なったようで、何日か続けてお休みしていたりもした。出勤している日も、いつもより少し元気がなさそうだったりもして。

 それだと思った。

 

 ぼんやりしていて何かミスをしたとか、そういう話ではない。

 使う器具などどのような環境であっても、コーヒーって本当に入れ方で味がかわる。もっと言うと、入れた人のコンディションや心持ちで味が変わる。

 

 以前ドラマで見たのだが(出典はある小説らしい)、コーヒーを濾過、抽出しているところを手でそっと包み込むようにして、ハンドパワー的なかんじで「おいしくな〜れ〜」とやったらおいしくなるらしい。嘘だろと思ってためしにやってみたら、本当に味がものすごく変わって驚いた。

 料理をする時にも、似たようなことを日頃から感じている。体調が悪かったり気持ちがイライラしていたりすると、それが反映されるかのように派手に失敗したりする。

 

 だから自分の手で用意したものがおいしいかどうかは、私にとって自身をの状態を客観的に把握するためのバロメーターだ。特に、私やあーちゃんみたいな野性味の強いタイプにとっては。

 

 饒舌に語ることはないし、騒いだり主張したりすることも決してなかったけど、あの時期本当にきつかったんだなと思った。

 

 知らないわけではなかったけど、そのニュアンスをその場で嗅ぎ取ることができたら、もう少しその場であーちゃんをいたわることができたのになと思った。そして、一緒に働く同僚として、そんな素朴さや素直さを愛おしく感じた。