あの頃の夢を、叶えてあげる

エッセイ書きたかったんだった。ずっと忘れてた。

年の暮れのバスでの出来事


 新幹線を降り、改札を出て、バスが停まっているのを見つけて小走りで駆け込む。年の暮れの里帰りだ。

 車内は空いていて乗客は数人しかいない。幸いなことに滑り込みセーフだったようで、バスはすぐにドアが閉まり、急いで発車し…かけた。1人の初老女性が乗り込むのを受け入れようと、ドアは再び開いた。


 この女性が、とてつもなくのんびりしている。周りを気にする様子は一切なくマイペースに乗り込み、乗車口を上がったところに留まってゴソゴソしている。

 最前の運転席から、運転手が後方の女性へマイク越しに軽く声をかける。
「すいません、遅れとるんですよ」(方言のイントネーション)

 
 しかしこの女性、多少耳が遠いのか、この言葉を聞き取れない。大声で聞き返す。
「はいーー??!!」

 運転手が再び、
「遅れとるんですよ」(方言のイントネーション)

 女性はまだ聞き取れず、
「はあー?なんですか??」(方言のイントネーション)

 
 運転手はイライラした様子は全然見せず、親切に同じ言葉を繰り返す。
「今ねえ、もう遅れとるんですよ」(方言のイントネーション)

 それでも女性は、聞き取れないのか理解できないのか、また大声でのんびりと同じ言葉を繰り返す。
「えー、なんですかーー??」(方言のイントネーション)

 

 乗車口そばの席に座っていた私は、よっぽど女性に「発車遅れてるそうです」と一声かけようかと思ったが、その前に運転手がまた同じことを言う。それでも聞き取れない女性は、じわじわと運転席のほうへ寄っていきながら同じことを大声で聞き返す。

 このやりとりが、さらに数回繰り返される。

 
 もう、いいじゃないか(笑)

 
 このやりとりのせいでさらにバスは遅れているにもかかわらず、運転手さんは粘り強く、一度投げかけたコミュニケーションが伝わるまであきらめない。女性客のほうも律儀に、意図を受け取るまであきらめない。

 その短い言葉の応酬が、東京の雑踏と喧騒の中で戦い抜いた私の年末の身体に、心地よく響く。
 まるでマッサージのように。

 東京だったら、こうはいかない。時間を焦る人々から冷たい視線や厳しい一言を浴びせられるようなシチュエーションだ。ここは田舎ではないが、地方都市。流れる時間の速さが全然違う…

 

 2人の話はなんとか落ち着き、バスは発車する。
 夜の街を走るバスに揺られてそんな実感を噛み締めていると、少し涙が出てくる。

 ちょっと、今年は疲れたなぁ…

 

 女性客は私より先に降車していき、
「すいませんでしたねぇ」(方言のイントネーション)
と、やはりのんびり律儀に運転手に声をかける。

 運転手のほうも、
「いえいえ。急かしてしまってすいませんねぇ」(方言のイントネーション)
と、やはり親切に答える。


 いいなあ。運転手さん、すごくいい方だな。

 

 そんないい気分で、下車する際は心をこめて「ありがとうございました」と言った。過剰に顔がにやけていたのかもしれない。運転手さんは私には親切な言葉をかけてくれることはなく、少し怪訝そうに一瞥しただけだった。